すずき・せいいち
明治44(1911)年、愛知県碧南市大浜の農家、角谷家に6人兄弟の四男として生まれる。3歳のときに鈴木家の養子となり、東京の中央商業学校(現在の中央学院大学の前身)に学ぶ。卒業後は老舗のロウソク問屋、川原商店に入社し東京出張所に勤務。昭和14(1938)年、戦争で入手困難となった蝋の代用品として「URワックス」を開発。その翌年には「高度ワックス」を開発する。昭和17(1942)年、川原商店勤務の傍ら「高度ワックス配給協議会」の専務理事に就任。独立開業を決意すると昭和19(1944)年にユシロ航空油剤製造を設立。昭和25(1950)年にはケントクへと社名変更し、本社を愛知から大阪に移転。「板の間廊下のツヤ出しケントク」のキャッチフレーズで艶出しワックスを販売した。昭和33(1958)年、ビルメンテナンス・清掃用品販売のケントク新生舎を設立すると、昭和37(1962)年には同社を同業他社と合併させサニクリーン東京を設立。その翌年、大阪でもサニクリーンを設立し、昭和39(1964)年にはダスキンに社名変更した。ダスキンは掃除用具のレンタル事業を全国でフランチャイズチェーン展開し急成長を遂げた。その後もミスタードーナツ事業などを手がけ経営の多角化を図り、わが国初の複合フランチャイズ企業の基礎を確立した。昭和55(1980)年、68歳で死去。