はやみ・まさる
大正14(1925)年生まれ。兵庫県神戸市出身。父親は三菱銀行職員。母方の祖父は日商(現在の双日の前身)創立者で貿易庁長官などの公職にも就いた永井幸太郎。東京府立第六中学校(現在の都立新宿高校)を経て東京商科大学予科(現在の一橋大学)に入学。同級生には川勝堅二(元三和銀行頭取)や俳優の久米明がいた。5カ月間の軍務なども経験し、昭和22(1947)年に卒業すると日本銀行へ入行。主に国際畑を歩み昭和53(1978) 年には理事に就任。昭和56(1981) 年、日銀を退職すると総合商社の日商岩井(現在の双日)に専務取締役として招聘された。昭和59(1984) 年に社長、同62(1987) 年には会長に就任。平成3(1991)年には経済同友会の代表幹事にも就任した。平成10(1998)年、のちに「大蔵省接待汚職事件」(ノーパンしゃぶしゃぶ事件)と呼ばれる一連の大蔵省・日銀スキャンダルが発覚し、当時の三塚博蔵相、松下康雄日銀総裁らが引責辞任すると、橋本龍太郎首相から日銀の後継総裁に指名された。同年3月、17 年ぶりに古巣へ復帰し、第28代日本銀行総裁に就任。この際、保有していた日商岩井株はすべて財団へ寄付した。平成11(1999) 年には世界初のゼロ金利政策と時間軸を導入。平成13(2001) 年には量的金融緩和政策を実施、さらに平成14(2002) 年には銀行保有株式の直接買入を断行した。平成15(2003)、任期満了により日銀総裁を退任。平成21(2009) 年、84 歳で死去。