ふない・てつろう
昭和2(1927)年、兵庫県神戸市でミシンの卸売業を営んでいた船井家に4人兄弟の三男として生まれる。旧制神戸村野工業学校(現在の神戸村野工業高等学校)を卒業後、昭和22(1947)年に大阪のミシン卸問屋「東洋ミシン商会」へ入社。当時、ミシン販売の国内最大手だった同社は従業員に対するスパルタ教育で知られ、「3日勤めたらどこの会社でも勤まる。3カ月勤めたらどこの会社へ行っても番頭になれる。3年勤めたら自分で商売できる」と言われたという。船井は同社で修業を積み4年の勤務を経て独立、昭和26(1951)年に24歳で個人商店「船井ミシン商会」を創業。翌年には法人化し、日本製ミシンの海外輸出で大成功を収める。昭和34(1959)年、トランジスタラジオの生産にも乗り出し社名を「船井軽機工業株式会社」へ変更。昭和36(1961)年にはラジオ部門を分離独立させて船井電機を設立した。ブラウン管テレビ、DVDプレーヤー、液晶テレビなど、主力となる製品を次々に切り替えながら、主に中国で生産し北米へ輸出する手法で事業を拡大。OEMとそれに伴う生産拠点の海外展開を推進し「世界のFUNAI」の基礎を構築した。90年代の〝テレビ価格戦争〟では、徹底したコスト削減と品質管理によって金星社(現在のLGエレクトロニクス)や三星電子(サムスン電子)などの韓国製激安テレビと互角に渡り合った。平成20(2008)年に会長就任、平成28(2016)年に相談役へ退いた。平成29(2017)年、〝現役〟の相談役のまま90歳で死去。