ねず・かいちろう
大正2(1913)年、根津財閥の創始者で「鉄道王」と呼ばれた初代・根津嘉一郎の長男として生まれる。元の名は藤太郎(とうたろう)。初代が創立した武蔵高等学校から東京帝国大学経済学部へ進む。昭和11(1936)年に卒業すると東武鉄道へ入社し、初代の秘書となる。同15(1940)年、取締役に就任。同年、初代の死去に伴い嘉一郎の名を世襲し、根津財閥の2代目総帥となる。同16(1941)年には27歳の若さで第4代の東武鉄道社長に就任。戦後は鉄道・バスの輸送力強化を図って復興を牽引し「東武鉄道中興の祖」と呼ばれた。とくに昭和30年代には鉄道輸送力の大幅な増強に取り組み、関東の大手私鉄では初となる連続立体交差事業を展開。複々線区間の開通や地下鉄日比谷線との相互直通運転などを実現した。また日光や鬼怒川の観光振興にも力を注いだほか、北千住駅の大規模な改良工事も推進。流通・不動産・レジャー産業などの沿線開発関連事業にも積極的に進出した。東武百貨店などグループ主要企業の社長を務めたほか根津美術館、根津育英会の館長・理事長なども歴任。初代の「社会から得た利益は社会に還元する義務がある」という信念を踏襲し、私財を投じて芸術保護や教育事業にも取り組んだ。平成14(2002)年、88歳で死去。