まつぞの・ひさみ
大正11(1922)年、双子の兄・直巳とともに長崎県三井楽町(現在の五島市)で生まれる。兄弟は全員で5人。尚巳は3男。法政大学工業学校を卒業し、法政大学専門部に進むが中退。教職にあった父を幼少期に亡くし、経済的に苦しい環境のなかで戦前・戦中を過ごした。昭和28(1953)年、長崎でヤクルト事業に参画。長崎地区でのヤクルトの販売業者でありながら、全国のヤクルト業者を説いてまわって組織統合を推し進めた。昭和31(1956)年には製造・販売各社を統合した「ヤクルト本社」を設立。母子家庭で育った自身の体験から、女性が就業し経済活動に参加する意義と活躍の重要性を説き、女性販売員「ヤクルトレディ」による独自の宅配システムを確立した。昭和42(1967)年、ヤクルト本社の社長に就任。昭和44(1969)年には産経新聞社からプロ野球球団「サンケイアトムズ」(現在の東京ヤクルトスワローズ)を買収しオーナーに就任した。選手を大切にするファミリー的な球団経営で知られたが、初の日本一から一転してリーグ最下位に沈んだ昭和54(1979)年のシーズンオフには怒り心頭。主力選手に対し「ヤクルトレディが1本35円(当時)のヤクルトを売るのにどれだけ汗を流していると思っているんだ。高給取りのくせにだらけた野球をやりおって。本業の仕事がどんなに大変か勉強して来い」とオーナー自ら指令を下した。地元の経済発展にも尽力し、長崎新聞社の社長や長崎文化放送の会長などを歴任した。また「人材育成こそが将来の社会発展の要である」との理念から、私財を投じて教育支援の財団を設立し、多くの若者に奨学金を支給した。平成6(1994)年、72歳で死去。