いわたに・なおじ
明治36(1903)年生まれ。島根県大田市出身。大田農業学校(現在の島根県立大田高等学校)を卒業後、神戸の運送会社で勤務。昭和5(1930)年には27歳でガスの製造・販売を行う「岩谷直治商店」を創業。昭和20(1945)年には岩谷産業に改組する。それ以後、約40年間にわたり社長として同社を牽引し〝イワタニ〟を国内屈指のエネルギー商社に育て上げた。昭和28(1953)年にはプロパンガスを日本で初めて一般家庭向けに販売。当時はまだ薪や炭、練炭・豆炭などが家庭用燃料の主流だったため、炊事や風呂焚きなどの家事は重労働だった。このためイワタニのプロパンガスの登場は〝台所革命〟などと歓迎された。上の言葉は「主婦の皆さんを家事の重労働から解放する」としてプロパンガス販売を開始した当時のもの。昭和44(1969)年から販売を開始したカセットボンベ式卓上型ガスコンロ「イワタニホースノン・カセットフー」は大ヒットし、現在まで続くロングセラー商品となっている。東日本大震災の避難所などでも、イワタニのカセットコンロ・ボンベは大活躍し、「社会に必要なもの」であることを証明した。住設機器や食品事業などにも取り組み、イワタニを生活総合産業企業へと発展させたことから「プロパンガスの父」の異名をとった。平成17(2005)年、102歳で死去。