やました・かめさぶろう
慶応3(1867)年、伊予国宇和郡河内村(現在の愛媛県宇和島市吉田町)の庄屋の家に7人兄弟の末子として生まれる。明治15(1882)年、15歳で郷里から出奔。京都で小学校の助教員として働いた後、上京して明治法律学校(現在の明治大学)に入学するが22歳で退学。富士製紙会社に入社するが長続きせず、その後も横浜貿易商会の支配人など職を転々とする。横浜で洋紙売買の「山下商店」をはじめるがこれもうまくいかず、竹内兄弟商会の石炭部に入る。当時、石炭業は日清戦争の好景気に沸いていたことから、明治30(1897)年にこの石炭部を譲り受けるかたちで独立する。石炭輸送の必要から海運業に進出し、明治36(1903)年には英国船を買い入れて船主となった。日露戦争に際しては、同郷の海軍士官、秋山真之を通じて海軍に徴用船を提供。傭船代金によって大きな利益をあげた。明治44(1911)年には資本金10万円で「山下汽船」を発足。大正3(1914)年に第一次世界大戦が勃発すると海運業は空前の好景気となり、勝田銀次郎(勝田汽船)や内田信也(内田汽船)とともに〝3大船成金〟と称された。昭和19(1943)年、77歳で死去。終戦後、山下汽船は新日本汽船との合併(山下新日本汽船)を経て、平成元(1989)年にはジャパンラインと合併し、社名をナビックスラインに変更。同11(1999)年には大阪商船三井船舶との大合併が成立し、現在では「商船三井」となっている。