大正7(1918)年、貴金属商で貴族院議員だった山崎亀吉が「尚工舎時計研究所」として創業。大正13(1924)年に懐中時計「CITIZEN」を発売。市民に愛され親しまれるように、英語で「市民」を意味する「シチズン」をブランドとした。山崎と親交の深かった貴族院議員で、当時の東京市長だった後藤新平が名付けたとされる。昭和5(1930)年「シチズン時計株式会社」を設立。昭和13(1938)年、軍部の敵性語規制で「大日本時計」への商号変更を余儀なくされたが、戦後の昭和23(1948)年には社名を復活させた。