平尾昌晃さん60億円の争族トラブル

遺言さえあれば…


 「書く暇がなかったのか、わざと書かなかったのか…。ちゃんとした遺言さえあればこういう現状にはなっていなかったかもしれない」。2017年に亡くなった歌手で作曲家の平尾昌晃さんの三男・勇気氏がそう絞り出した言葉は、相続トラブルに悩まされる遺族の共通した思いかもしれない。故人の思いを知るすべを持たない遺族がそれぞれの主張を繰り広げた結果、相続が〝争族〞トラブルとなっていく例は枚挙にいとまがない。総額60億円にも上ると言われる平尾さんの遺産を巡る争いから〝争族〞の防止策を探る。


 「霧の摩周湖」や「瀬戸の花嫁」など多くのヒット曲を持つ作曲家で、歌手としても活躍した平尾昌晃さんがこの世を去ったのは2017年のことだ。もともと肺に疾患があり、入院した病院で肺炎が急変して79歳の生涯を終えた。

 

 親族間のトラブルが顕在化したのは約1年後の18年9月だ。平尾さんは生前3度の結婚をしたが、最後の結婚相手であるMさんが平尾さんの残した2つの法人の社長に就任したことについて、前妻との子どもである三男・勇気氏が「就任経緯に問題があった」として職務執行停止を求める仮処分を東京地裁に申請したのだ。

 

 平尾さんは自身の楽曲を管理する音楽出版社に加えて、ミュージックスクールを経営していた。さらに都内に音楽スタジオやタワーマンションも所有していたというが、最大の遺産は平尾さん自身が作曲した名曲の数々だ。CDが売れたり、カラオケで歌われたりするごとに入る印税収入は年間1億円を超え、著作権は死後50年間保護されることから、将来にわたって得られる〝遺産〞を合わせると総額60億円に上る。

 

対立は終わる気配なし

 Mさんが2法人の社長に就任した経緯について、勇気氏ら遺族は「法的な書類の不正や不備があった」と主張した。その後、臨時株主総会で1社についてはMさんを解任した。もう1社は「株主の確定ができない」として総会の開催を拒否され、東京地裁に職務停止を申請したが、今年2月に棄却されている。

 

 さらに最大の遺産である音楽著作権については、Mさんの単独相続がすでに受理されている。申請書には勇気氏ら遺族の印鑑もあるが、「弁護士がやってきて『会社の存続にすぐお金が必要だから』と言われ、承継者が空欄のまま印鑑を押させられた」と述べ、無効を主張している。Mさん側は当然、こうした主張を全面否定していて、死後1年半が経過した今も両者は完全な決裂状態にある。平尾さんの供養は棚上げにされ、いまだ納骨もされていない。

 

 事態がここまでこじれているのは、巨額の遺産が絡んでいることに加えて、当人同士らの間に「感情」のもつれがあるのは否定できない。実は遺族らは平尾さんがMさんと3度目の結婚をしたこと自体を教えられておらず、死後に初めて知ったという。

 

 そこには平尾さん自身の意思もあったと思われるが、本人がいなくなってしまった以上は真意をただすこともできず、Mさんへの不信感が増した面もあるようだ。両者の対立はまだまだ終わる気配がない。

 

生前にすべき最大の仕事

 そんななか、平尾さんの思いはどこにあったのか、その一端を知ることのできる手紙が、今年3月になって見つかった。Mさんが保管していたと見られ、今になって知人を介して勇気氏ら遺族の手に渡ったという。

 

 手紙自体は死亡する15年前の2002年に書かれたもので、「もし俺に何かあったら、Mさんと兄弟で仲良くして、決してもめないでくれ」と書かれていたという。しかし残念ながら、現実は故人の思いとは正反対の展開となってしまっている。そしてこの手紙が死去直後に関係者全員に読まれていたとしても、財産の分配など具体的なことが書かれていない以上、平尾さんの意思がどこまで尊重されたかは疑問だと言わざるを得ない。

 

 勇気氏は、平尾さんが亡くなった直後に、遺産分割について記した遺言がないか探したが、見つからなかったことも明かした。「父はお金の話が好きではなかった。遺言を書く暇がなかったのか、わざと書かなかったのか分からない」と語り、「ちゃんとした遺言があれば、こうはなっていなかったかもしれない」と亡き父への〝恨み言〞をつぶやいた。

 

 遺言は、民法上の遺留分を侵害しない限り遺産分割において強制力を持つという〝法的な力〞と、故人が自分の言葉で財産分割の方針を遺族に伝えるという〝説得力〞を持っている。勇気氏の言葉どおり、Mさんと遺族の両者を納得させる遺産分割とするためには、本人による遺言が必要だったといえるだろう。

 

 残された家族らが自分の遺産を巡って争うことを望まないのなら、遺言をしっかり残すことが、生前にすべき最大の仕事だといえるかもしれない。

(2019/06/05更新)