中小企業経営者の事業承継が進んでいない。後継者難から廃業を選ぶ事業者は年々増加し、今後5年間で30万人を超える経営者が70歳となるにもかかわらず、6割が後継者候補すら見つかっていないという。事業を残したくても残せずに多くの中小企業が消えていくなか、このほど日本商工会議所が公表した2018年度税制改正に向けた意見書では、中小の事業承継に絡む多くの要望が並んだ。意見書では今後5〜10年間を「大事業承継時代」と位置付け、現在の中小企業が置かれた厳しい状況や、生き抜くために必要な取り組みを訴えている。中小企業がこの先とるべき決断は、どのようなものになるのか。
社会全体の高齢化に伴い、企業経営者も高年齢化が進んでいる。1995年に「47歳」だった中小企業経営者の年齢の山は、20年後の2015年には「66歳」へと上昇し、今後5年間で30万人以上の経営者が70歳になると見込まれている。
経営者の高齢化が進む一方で、世代交代は遅々として進んでいない。70代になっても事業承継に向けた何らかの準備を行っている経営者は半数程度にとどまり、多くの中小事業が「社長が元気だから、まだ承継の準備はしなくていいだろう」という希望的観測に頼っているのが実情だ。
もちろん、全ての高齢経営者が今すぐ事業承継に取り組まなければならないということはない。健康なうちは現役でいるのは当たり前だし、昔にくらべて現役期間が伸びているなか、70代を超える経営者が増えるのも当然だ。
しかし若い年代に比べれば、高齢経営者に健康上の問題が起きる可能性が高いことを否定できないのも事実だろう。事業承継準備をしないまま経営者に「もしも」のことが起きてしまったり、あるいは健康に不安を覚えて後継者を探し始めても見つからなかったり、という中小企業が増えた結果、この数年間、事業を畳む中小事業者の数は増え続けている。東京商工リサーチの調べでは、昨年1年間に休廃業・解散した企業は2万9583件で、00年以降最多となったことが明らかになっている。倒産件数は逆に前年より減っていることから、多くの中小企業が経営的な先行きが見えていても、後継者難などの事情から自発的な廃業や解散を選ばざるを得なくなっている状況がうかがえる。
中小企業の置かれた状況に対して強い問題意識をにじませているのが、日本商工会議所(三村明夫会頭)が9月20日に出した税制改正への意見書だ。所得税、法人税、消費税など多くの税目への要望が並ぶなか、トップに掲げられた事業承継関連の意見は全ページの3分の1ほどを占めている。冒頭では「団塊世代の経営者が大量引退期を迎えるなかで、廃業によって『価値ある事業』が失われれば、有形・無形の技術やノウハウの途絶、産業集積の衰退などを招く」と訴え、事業承継をめぐる税制を国の成長戦略と位置づけることが必要だとして多くの改正を求めた。さらに、団塊世代が引退期を迎える今後5〜10年間を「まさに『大事業承継時代』の到来である」とも書き、世代交代によって新たなビジネスを生み出す意欲のある経営者の活躍を促すチャンスであるとも呼び掛けている。
中小企業経営者の事業承継に絡む税制と聞いて、まず思いつくのは「事業承継税制」だろう。一定の要件を満たした上で自社株を後継者に贈与・相続した時に、後継者にかかる税負担を半永久的に猶予するというものだ。
同税制は、制度自体は2009年に導入されたものの、納税猶予を受けるための条件があまりにも厳しく、実用的ではないものだった。その後、中小企業経営者の高齢化が進み、経営者の世代交代が国としても喫緊の課題となるなかで、たびたびの拡充が行われてきた経緯がある。15年には二代目から三代目への〝再承継〞があった時に優遇が継続されるようになり、子や妻以外の親族外承継についても納税猶予が適用できるようになった。承継後の従業員数にかかる人数要件も緩和され、最新の17年度改正では、承継後に条件が満たせなくなって猶予が取り消された時に贈与税負担が少なくて済む相続時精算課税制度が選択できるようになっている。
「これ以上優遇すると税の公平性が崩れる」(国税幹部)とまで言われながらも、ほぼ毎年のように拡充が行われてきた事業承継税制だが、日商の意見書からは、中小の事業承継を促すには、それでも内容が不十分であるとの不満が見てとれる。
意見書ではまず、同税制で優遇が適用される自社株が「経営者から後継者1人へ引き継がれる自社株」に限定していることに不備があるとした。オーナー企業では経営者である社長本人の他、その配偶者や親族も自社株を持っていることが一般的だ。また後継者以外の親族が自社株の一部を持ちながら経営に関与することも、同族企業では当たり前の話だ。しかしそれらの株は、現行の事業承継税制では納税猶予の対象とはならない。
東京商工会議所の調べでは、後継者以外のきょうだいが自社に勤務している企業は3割強、後継者以外のきょうだいにも自社株を承継させる企業は約5割であることが明らかとなっている。こうした企業も税優遇を適用して事業をスムーズに引き継げるよう、意見書では代表者と後継者を限定する要件そのものを撤廃し、経営に関与する全員が優遇を受けられるよう求めている。
また同税制で猶予された税負担が完全に免除されるのは、二代目が死亡した時や三代目への再承継が行われた時などに限られている。二代目が猶予を受け続けるためには、従業員数や事業継続の報告などの要件を継続して満たさなければならないわけだ。
事業承継税制と類似した納税猶予制度は諸外国にもあるが、多くは要件を満たさなければならない期間について5〜7年と期限を切っていて、日本のように半永久的に要件を満たし続けなければ猶予が取り消される国は他にない。日商はこの点についても、「複雑」かつ「煩雑」だとして、5年で税負担を完全に免除し、その上で継続期間中の書類提出なども簡素にすべきだと主張している。
そのほか、現状では相続税の猶予される自社株が「発行済議決権株式総数の3分の2のさらに8割」で、実質約5割となっているところを10割に引き上げ、労働人口減少に合わせて従業員数の要件も根本的に見直すことを求めた。また今後、「家族信託」などを活用しての自社株引き継ぎが増えることが見込まれるとして、信託を使った承継についても税優遇の適用対象とすべきだと訴えた。
日商の税制改正要望は中小企業にかなり手厚く、実現されたあかつきには事業承継税制を適用する企業経営者が大きく増えるものと予想される。現状の事業承継税制は、事業の承継と継続を手助けしてくれる以上の意味を持たないが、もし事業継続要件などが緩和されれば、相続税や贈与税の負担を免除することを目的にとりあえず事業を引き継ぎ、期間切れを待って廃業することも現実的な選択肢として浮上してくるだろう。
もちろん税逃れ目的での形だけの事業承継を国税当局や政府が認めるはずもなく、日商の要望がそのまま受け入れられる可能性は現状では低い。とはいえ、中小企業が減り続ける現状に国が深刻な危機感を抱いているのは確かで、高齢化が進むなかで経営者の世代交代を促すべく、18年度税制改正で政策優先の拡充が行われてもなんら不思議ではないところだ。
しかし税優遇が手厚くなったところで、中小企業の置かれた状況が劇的に改善するわけではないことを忘れてはいけないだろう。そもそも問題の根幹は、人口減少が進むなかで、有望な後継者が見つからないことにある。もちろん後継者の税負担が減ることになれば引き受けたいと思う人間は増えるだろうが、自社を託せる後継者を見つけること自体が難しいという点は、税制が拡充されたとしても変わることがないからだ。
有望な後継者が見つからず、会社を畳むという決断をする中小企業が増えるなか、近年になって第三の選択肢が浮上している。それが、自社の事業を他者に売却する「M&A」だ。
「事業は成長させて売るもの」という考えの定着している米国などと違い、日本で企業買収というと「大事に育ててきた会社を他人に乗っ取られるもの」というネガティブなイメージが長年つきまとってきた。しかし最近になり、売り手と買い手双方に経営上の実益をもたらす手段として積極活用するケースが増えてきたほか、後継者が見つからずに自社が蓄積してきた技術やノウハウが失われるのを防ぐために、経営者のリタイア時に事業を託す手段としてもM&Aが利用されるようになりつつある。日本経済を支えてきた中小企業には大企業にもない知識や技術、顧客とのつながりがあり、それを評価する動きが定着しつつあるわけだ。
そうした状況を踏まえ、国の中小企業支援施策も、これまでの「後継者育成」から「事業売却」へと重心を移しつつある。経産省が今年7月にまとめた「事業承継5ヶ年計画」では、後継者育成を差し置いて、中小企業が利用できるM&A市場の育成や地域の事業統合支援などが柱となっている。
計画では、国が運営する事業引継ぎ支援センターの人員や予算を強化し、廃業に伴う個人保証や債務の処理などへの支援も拡充していくことを盛り込んでいる。さらに中小M&Aの支援に特化した仲介事業者の新規参入を促し、年商1〜10億円規模、仲介手数料1千万円以下のM&A支援に注力していく方針だという。そのほか地域に根ざす事業者が承継の失敗によって廃業などを選んだ結果、地域の物流や供給に重大な影響を及ぼすことのないよう、事業統合をふくむM&Aや、役員承継を促進するための税制面での優遇策も実施していくとしている。
中小企業が後継者を見つけて円満に承継することを政府があきらめたわけではないだろうが、これまでの後継者育成支援だけでは中小企業の減少に歯止めをかけられず、中小企業の持つ優れた技術が失われるリスクが高まっていることが、政府の方針転換の背景にあると言えるだろう。
税優遇などを駆使して事業を託せる後継者を見つけるか、価値を認めてくれる他者を探して事業を売却するか、それとも事業を畳むか。最終的に自社をどの道に進ませるにしても、重要なのは早期に準備を始めることだ。後継者を育成するにしろ、事業を手放して悠々と老後を送るにしろ、円満なリタイアには万全の準備が必要で、それには時間がかかる。年齢にかかわらず、自分に「もしも」のことがあった時を考えておくことは、経営者の義務でもあるだろう。
「まだまだ仕事を続ける」ことと「事業承継の備えをする」ことは、矛盾なく両立できることだ。あと何年仕事を続ける気であろうとも、事業承継の準備をぬかりなく整えておくことは、自分にとっても会社にとっても無駄なことではない。
(2017/10/30更新)