中小企業の事業承継の際に引き継がれる非上場株式について相続・贈与税の納税猶予を設ける「事業承継税制」が利用を伸ばしている。創設当時は要件のハードルが高かったが幾度かの見直しによりそれが緩和され、使い勝手が徐々によくなっていることが理由だ。中小企業の承継にとって大きな味方となる可能性のある制度だが、さらなる改正には困難がつきまとい、また税金面でのメリットばかりを見ていると思わぬトラブルに足をすくわれそうだ。
事業承継税制は、中小企業経営者が事業を承継する際に、相続や贈与で譲り渡した自社株にかかる税負担を軽減するという制度だ。この制度を利用すれば、譲り渡した自社株と、後継者がもともと持っていた自社株の合計のうち、発行済議決権株式の3分の2までの部分について、相続税なら評価額の8割、贈与税なら全額が納税猶予される。
猶予といっても要件を満たしている限り税金を納める必要はなく、二代目後継者の死亡や倒産、あるいは三代目へのさらなる事業承継が行われれば、猶予されていた税負担は免除となる。
例えば評価額6千万円分の株式を持ち株ゼロの後継者に譲り渡したとすれば、生前贈与ならその3分の2に当たる4千万円に税金がかからない。また相続なら、本来6千万円分すべてに相続税がかかるところを、3分の2の8割である3200万円分が非課税ということになる。破格の軽減措置といってもよいだろう。
同税制は、事業承継の際の税負担を理由に廃業を選ぶ中小企業を減らすことを目的に、2009年に創設された。しかし当初は、優遇の大きさに比べて利用は年間200件足らずにとどまるという〝不人気税制〞だった。
その理由は単純で、適用のためのハードルが高かったからにほかならない。税優遇を受けるための要件は色々あるが、利用のための足かせとなっていたのは「雇用維持要件」と「後継者要件」の2つだ。
雇用維持要件では、承継から5年間毎年、承継前の雇用数の8割を維持しなければならないとされていた。また後継者要件では、対象となるのは先代経営者の親族のみに限られていた。小規模事業者では従業員を1人減らしただけで8割を切ることは珍しくなく、また後継者難から親族外承継が増えるなかでの親族限定は、中小企業の実態に沿っていなかった。
利用の低迷を受け、これまで同税制には数度にわたる手直しが図られてきた。特に15年度税制改正では、大きなハードルとなっていた2要件について、それぞれ「毎年ではなく5年間の平均で雇用8割を維持」、「親族外の承継も適用可」と大きく緩和された。
要件緩和を受けて、これまで年間約170件程度にとどまっていた利用件数は増加し、まだ見込みではあるものの15年の利用は前年の2倍の約350件にまで膨らみそうだ。もちろん中小企業の全体から見れば微々たる数字で、これで制度が完成したかと言えばそんなことはない。
同税制を検証する中小企業庁の検討会では、雇用要件の完全撤廃や適用株式割合の上限引き上げなど、さらなる制度の見直しを強く訴えている。しかし改正への道のりはそう簡単ではなさそうだ。
「優遇内容が破格なだけに、これ以上の要件緩和は課税公平性を失う恐れがある」と漏らすのは、ある国税幹部だ。中小企業の保護は重要課題ではあるものの、過度なオーナー企業への肩入れと取られかねない懸念があるという。
雇用要件の見直しについても厳しい状況だ。同制度のスタートに当たって経済産業省が示した制度目的の一つは従業員の雇用の確保だった。そのため、ただでさえ「毎年8割」から「平均8割」に緩和した雇用要件を、これ以上譲歩することはできないという姿勢を示しているという。
さらに今年は特にタイミングが悪い。6月に安倍首相が消費増税を延期したことで、国は数兆円の税収見込みを失った。そんななか、年末に向かって始まる税制改正議論の場で、国の〝財布のひも〞を握る財務省が、税収減につながる見直しに例年以上に神経を尖らせている。中小企業税制の見直し検討会合に加わったある税理士が「どうやら今年の税制改正は相当難しくなりそうだ」と語るように、事業承継税制の使い勝手がさらに良くなり、税制面での優遇が拡大されるまでの道は険しいと言わざるを得ない。
とはいえ、現状でも条件が合えば同税制が事業承継の大きな助けとなることに変わりはない。要件などを確認の上、活用できるものならしていきたいところだ。またその際には、税制面以外での相続リスクに十分な注意を払いたい。
制度を利用して自社株を低い税負担で引き継げたとしても、他の相続人から民法上の権利である遺留分減殺請求をされて自社株を取られてしまっては、経営の承継すらうまくいかなくなる。
中小企業の承継に詳しい城所弘明税理士(東京・芝区)は、「事業承継税制の利用が拡大するにつれて、今後は自社株の奪い合いといった相続トラブルが増えてくる」と予測する。税優遇を利用することだけに意識を集中して承継に失敗しては本末転倒だ。事業承継はあくまで税金面と経営面の双方で円満なく引き継いでこそ成功するということを心に留めて、制度の利用を検討したい。
(2016/09/01更新)