1948年7月28日、ロンドン五輪の開会式と同じ日に、英国のストーク・マンデビル病院で入院患者によるアーチェリー競技会が行われた。これがパラリンピックの起源とされている▼戦争で脊髄を損傷した軍人のためのリハビリ科が置かれていたこの病院では、車椅子を使う戦傷兵にスポーツを奨励することで、治療と生活の質の向上につなげようとした▼提唱者は「パラリンピックの生みの親」とされる神経外科医、ルートヴィヒ・グットマン博士。ドイツから英国へ亡命したこのユダヤ系の医師は、身体と心の傷を癒すには「手術よりスポーツを」と説いた。高橋明著『障害者とスポーツ』(岩波新書)によると、「失った機能を数えるな、残った機能を最大限に活かせ」という博士の言葉は、いまもリハビリの基本哲学になっているという▼入院患者14人の参加で始まった「リクリエーション」は、今日では夏季・冬季合わせて約5千人が出場する「スポーツと人類平和の祭典」となったが、ソチ大会の期間中、こともあろうに開催国ロシアが隣国ウクライナへ軍事介入した▼「戦争の傷」による障害者のリハビリを原点としてスタートしたパラリンピック。ウクライナ南部のクリミア半島を武力で掌握したロシアの行為は、五輪・パラリンピック精神をも踏みにじるものとして、世界中から非難されてしかるべきだろう。