【ヒットメーカー】 (2020年11月号)


土屋耕一(1930年~2009年)さんは、現在50~60代のギョーカイ人にとって雲の上の存在だった。19歳の時に大病を患い、5年の闘病生活を余儀なくされた。回復後は資生堂の宣伝文化部に嘱託社員として採用され、コピーライターとしての研鑽を積んだ▼「君の瞳は10000ボルト」は土屋さんの作品。堀内孝雄が歌うキャンペーンソングのタイトルにも起用され大ヒットした▼回文作家としても知られ、『軽い機敏な子猫何匹いるか』(誠文堂新光社)などの著作を残した。話し言葉の持つ特性を生かし、時代の空気を反映した軽妙かつ洒脱な文章に定評があった▼資生堂から広告制作会社のライトパブリシティへ移籍。和田誠や篠山紀信、浅葉克己らの錚々たるメンバーが在籍し、さまざまな才能を輩出していた同社は、マスコミ志望の学生にとって憧れの職場だった▼俳句のセンスも光った。「原節子小津安二郎金魚鉢」は土屋さんの句。「おーいお茶」(伊藤園)のパッケージに印刷された「新俳句」の選者も務めていた▼土屋さんの10歳年下、1940年生まれの筒美京平さんが亡くなった。こちらも説明不要の偉大な才能だった。「魅せられてまた逢う日までサザエさん」。稀代のヒットメーカーは、曲名を並べるだけでもそれとわかる。軽妙かつ洒脱な土屋さんなら、どのように表現しただろうか。